運河の音楽感想17

法螺師の方や吉田中のブラスバンド部との渉外を担当し、当日は「運河を聴く」や音遊びの会に出演した三宅さんの感想です。


前日の艇庫ミーティングの前に、パンフレットや記念品準備等の細々とした仕事を手伝いながら、何かが始まる時の高揚感が場にみなぎる心地よさを感じていました。その気分は、当日朝の快晴でさらに高まり、神戸ドックまで自転車を飛ばしながら、すでに爽快な気分でした。
プログラム最初の神戸ドックでは、私が出演依頼や連絡を共同担当していた法螺師宮原正貫さんの到着と共に、一気に場が引き締まりました。ドックに停泊する巨大な船を背に、浜山ハンドベルグループが円形に座り、正面に法螺師が立つという構図。最初の一音が鳴り響いた瞬間、その場が一瞬にして儀式の空間になり、鳥肌の立つ思いでした。続くハンドベルの音色も、どこか非日常で抽象的な響きに聴こえてきます。神戸ドックの新入社員達が列をなして見ている隣で歌うアカペラグループもとても不思議でした。管楽器の演奏は、音遊びの会にも参加している藤本優さんを筆頭に、ドックの先端から堂々とした足取りで戻ってくる姿が印象的でした。そして次のポイントへと向かう行進で、どんどん続くこの先のプログラムを暗示。この神戸ドックでの演奏に、今回の「運河の音楽」のエッセンスが凝縮されているようにも感じました。
ここでの一連の流れを現場で簡潔に指示し、また次のポイントへ向かう道々で各出演者と打ち合わせ‘演出’をつけていく野村幸弘さんを見ていて、彼の言う「場から発想する幻聴音楽会」の意味するところ(のひとつ)を初めて実感として感じました。すなわちそれは、これが映像作品となる、ということが今回の「運河の音楽」を成り立たせる上でとても重要な鍵だったことです。運河に集まった様々なバックグラウンドの出演者を的確に場に配置し、各人の得意とするところを発揮してもらいつつ、求めるイメージを簡単に伝える。出演者は自分の人生やスキルに照らしてそれを解釈し、自分なりに演じる。そのことが場を非日常の空間にし、さらに何気なく通りかかった人やその時々で起こるハプニングが日常と非日常の境界をあいまいにし、観客も幻想の世界へと巻き込まれていく。幸弘さんのこれまでの映像作品は以前から見聞きし興味津々だったのですが、作品として撮るということによって場を成立させ、日常の行為と地続きであり飛躍でもあるアートとして現出する、そういう現場に立ち会えたことは大きかったです。
映画のロケそのものであるような「運河の音楽」という出来事が、わずか半年ほどの間にこれほどの人々を巻き込んだ理由のひとつは、運河という実際の場所であると共に、そこに立ち現われる幻想でもある世界を見てみたいという好奇心と、そのような幻想世界をともに作っていく一員としての熱にあったのではないかと思います。このことは自分にとって、実際のパフォーマンスを見るまでは漠然としていたのですが、幸弘さんが持っていた明確な方向性とイメージは、どんどん膨らむ企画に一本糸を通すものだったように思います。
一方で、この「運河の音楽」はコミュニティアートの試みでもあり、それ自体としての音楽イベントであるという側面を持っていました。このことについては、企画ミーティング、各団体への出演依頼など渉外としての作業、当日の出演等を通じて様々に考えることがありました。
私が渉外を担当した吉田中学校吹奏楽部は、レガッタの方々から「吉田中学校のブラバンは上手いらしい」という噂を耳にして出演依頼をしたのですが、指揮者の松田さんが偶然私の同級生だったこともあり、タイトなスケジュールの中快く参加して下さいました。編成上、屋外での演奏に響きや選曲面での不安はありましたが、練習見学や現地での打ち合わせを通じてイメージを共有し本番に臨むことが出来たと思います。アンケート等でも吹奏楽部の演奏について記されており、地元の中学校が地域の人たちに演奏を披露するいい機会になったのではないかと思います。
私にとって気がかりなのは、今回の演奏が、彼らにとってどのような体験だったのだろうか、ということです。この日のために選んだ曲を一生懸命練習し披露した晴れの舞台であることは違いないと思いますが、それは彼らが演奏する他の様々な舞台と同じような機会のひとつに過ぎなかったのか、それとも「運河の音楽」に参加するという独自の体験となり得たのか。前述した「幻想の世界」を共有できたのだろうか。これは、地域で音楽をする人たち(今回では中学校ブラスバンドや高齢者のハンドベルグループ、児童館の子供たち、ハーモニカの方、またアーティストとして表現に携わる人など)と、どのように関わりながら音楽を作っていくか、という問題です。彼らが日ごろ追求している音楽的なよさを発揮し、彼らの人となりを反映しつつ、なおかつ新しい何かを生み出すような音楽活動をどのように企画し実践するか。またそれをどのような形で発表するか。今回のプロジェクトを通じて、このことは大きな課題として自分の中に残りました。
今回、吉田中の皆さんには音遊びの会にも参加をお願いし、自由な即興演奏に加わってもらうことで、日ごろの活動とはまた違った音楽を感じ取ってもらえたら、と考えていました。数名の生徒が参加してくれ、本番のたった何十分かの間に伸び伸びと、しかも周囲をよく聴いて演奏するようになったのを見て、彼女たちの柔軟性に感心しました。演奏終了直後に「楽しい!」と言い合うのを見て、さらなるコラボレートの可能性を感じました。

約半年間いろんな人に出会う中で印象に残っているのは、レガッタの方々や和田神社の宮司さん、など主要な登場人物はもちろんのこと、歴史散歩で引率してくれたおじさん達からたまたま道を尋ねた人に至るまで、皆が語る物語の面白さです。例えば、吉田中までの道を尋ねた若い女性は病気療養中で体力回復を兼ねて散歩しているとのことでしたが、ご自身も吉田中出身だそうで学校まで案内して頂き、道すがら学校時代の思い出や現在の生活などを聞きました。この企画のことを話すと興味を持ってくれた様子でした(彼女が当日来られていたかは分かりませんが)。このような何気ない話での関わりをきっかけとして、歌や音楽にすることが出来たらいいなと思います。魅力的なコラボレートがたくさんあった「運河の音楽」第一回でしたが、もし次回やるとしたら、運河を舞台にした歌物語や演劇のようなものが出来たらいいなあと(早くも)妄想しています。

私自身が出演したのは、最後の兵庫運河部分での「運河を聴く」。リハーサル時はとても寒く、クラリネットの音がよく響かなくて心配でしたが、当日は短いパルスがよく響くのが聞こえ、楽しく演奏できました。また音遊びの会では、対岸の橋の上からの長い行進がとても心地よかったです。
まだまだ思い出し足りないことがあるような気もしますが、この企画に携わることが出来て本当に楽しかったし、多くのことを学ばせてもらいました。ありがとうございました!

運河の音楽感想16

今回の企画にご協力いただいた、兵庫区まちづくり課の松岡さんの感想です。


兵庫区まちづくり課 松岡武士
最初に今回のお話をお伺いしたときは、短い準備期間と内容の分かりにくさに本当に実現可能なのかと心配になりました。
しかし、そんな心配をよそにスタッフの皆さんの強烈な個性と行動力で、地域の方々や周辺企業、行政まで巻き込んで、企画していた内容をどんどん実現していく様子を見ていて正直驚きました。この行動力は、見習わないといけない部分かもしれません。
当日、参加者として拝見した感想ですが、それぞれのポイントで行なわれるパフォーマンスの始まりと終わりがはっきりせず、観客は戸惑っていました。もう少しきちんとしたアナウンスが必要だったのではないでしょうか?
また、運河全体が会場となっていることで、せっかくのパフォーマンスが運河の対岸だったり、次のパフォーマンスまで時間が空いたり、全体的に間延びしてしまったようにも思います。
しかし、新川運河キャナルプロムナードでの和太鼓とダンスのコラボレーションと浜山レガッタコースでのこどもたちによる絵楽譜の演奏、競技ダンスはとてもよかった。特に夕暮れの運河での競技ダンスは、これまでにない雰囲気で、今後の運河でのイベントでも使えるネタのひとつとして参考にさせていただきます。
一部、分かりにくかった部分もありましたが、全体としては大成功のイベントだったと思います。スタッフの皆さん本当にお疲れ様でした。

運河の音楽感想15

警備担当として街頭に立ち続けてくれた、神大スタッフ松井さんの感想です。


私は警備要員として当日のみの参加でしたので、実際に運河に赴くまで内容をあまりよくわかっていなかったことが、自分の反省点として挙げられます。行程に関しては事前の説明を受けていたので把握していたのですが、その時に内容に関してもきちんと質問して把握しておくべきだったと思いました。
ということでいろいろと言えた義理ではないのですが、逆にこのイヴェントを当日にはじめて体験した純粋な観客としての感想がいくつかあります。
一言でいえば、「見せ物」であることに対する外部への説明責任が少なかったのでないかということです。現代アートをいきなり街中で、しかも工場街でやるというのは、もともとそういうものに親しんでいる(と思われる)スタッフや、何度も交渉して説明を受けている(と思われる)地域団体の方にはよいでしょうが、新聞で見て足を運んでくれた方々や通りすがりに見てくれた地域の方々など、このイヴェントに直接関わっていない方にはちょっと理解不能で、理解不能な分ストレスがたまって帰ってしまう方もいらっしゃったようで、「運河の音楽」というタイトルから通常の「音楽会」を想像したら全然違うものが出てきて面食らったようです。それだけなら仕方ないのですが、「地域を使って大学がわけわからんことしとる」とか「工場は学園祭の場じゃない」、「大事な休み時間に見に来たのにそれを無駄にされた」とかえって反発される可能性もなきにしもあらずなので、こうなると「コミュニティアート」が目指す方向とは逆になるのではないかとも心配しておりました。私も見に来ていただいているお客さんに対して最初申し訳ない気持ちがありました。
幸いそのような否定的な意見は私の周りでは聞かれませんでしたが、何をやっているのか分からないけど肯定的にとらえようとした方はよく見かけました。なんとか楽しもう(理解しよう)と思ったのでしょう、「これは何をやっているのですか」とか、「(すでに始まっているときに)これはいつはじまるのですか」など、しょっちゅう質問されて説明を求められました。そのおかげか、何よりもパンフレットが一気に売れたのは幸いだったと思います。後付けですが、説明者質問者ともども能動的に理解しようという動きが見られたのがよかったです。
で、私も説明する立場のくせによく理解できているか自信がなかったので、警備のすきにパンフレットを読んでみたのですが、行程説明、アーティストのプロフィール、スタッフやアーティストの制作過程日記が大半でちょっと内向きに見え、どのようなものがなされるのか、どのように楽しむのかについて説明が少ないのがやはり気になりました。説明によって即興というコンセプトが失われるのは本末転倒でしょうから、あまり詳細な説明は必要ないとは思われますが、表紙裏くらいに大きな文字でこの企画の意図と楽しむ手掛かりくらいは書いてあった方が溜飲が下がるのではないかと思います。たとえば「工場もアート、カモメもアート、通りすがりのチャリおばさんもアート、そしてなんじゃこりゃと思ったあなたもアート」とか「真剣に聞かずにテキトーに眺めておいてください」と企画のコンセプトを緩やかに伝えるとか、オチへのフリがほしかったところです。オチがないなら「こちらからのオチは無しですので自分でオチをつけてください!」とか。
警備に関しては、個人的に1つだけ気になっていることがあります。和太鼓の演奏中にワカメのような金属のオブジェに登って遊んでいる子供がいたので、これでけがをしてはいけないと思いその子に降りるように促して降りてもらったのですが、その判断が果たしてよかったのかということがちょっと気がかりです。イヴェント警備という観点からは妥当な行為だったと思うのですが、参加型アートという点からは明らかにその子の参加意思を殺いでしまったわけで、企画のコンセプトを主催者側が自らつぶしてしまった形にもなったわけです。その後コンテンポラリーダンスの方がそのオブジェを使って表現をしているのを見るとなおさらこの判断が妥当だったのか気になって今に至ります。秩序を求める社会と秩序から解放されるアートとの相克(?)をこんな形で見せつけられるとは。
あと、「やってることは何かよう分からんけど・・・」と言いながらも警察の方々が積極的に協力してくれたことが非常に印象に残っています。この主催者なら大丈夫だろうし協力しようという信頼関係がはっきりと見えました。にわか警備要員としても安心できるプロがいて非常に心強かったです。
このような感じで、なんだかんだ文句も言いましたが、体も頭もフル回転で色々と考えたり人々の善意に助けられたりと、非常に濃密な一日であったことは確かです。私をこの企画に巻き込んでくださった実行委員の皆様に感謝いたします。

運河の音楽感想14

運河の音楽実行部隊の影のボス、藤野先生の感想です。


神様に感謝するほかない好天に恵まれ、多文化共生の夢が眼前に実現した本当に幸せな一日だった。地域の文化資源を発掘するという営みは、学術的な強制力がはたらくと面白味のないものとなりがちだ。しかし「運河の音楽」の制作プロセスにおいては、それぞれのアクターのインプロヴィゼーションの妙味が意想外に発揮され、本番当日は、さらにスリリングな即興性が加わり、普段から見慣れているはずの光景が、創意工夫を凝らした街楽師たちのマジックによって新たな輝きを放ち、圧巻だった。
コミュニティアートプロジェクトは、現代GP事業の目玉の一つ。「運河の音楽」プロジェクトを通じて実感し確信したのは、そこに「都市文化再生」のための、とてつもなく大きな可能性が潜んでいることだ。もちろんアートマネジメントには、それが持続可能な組織運営をめざす限り「管理する」という部分は避けられない。とりわけクラシック音楽事業などの場合、制度化された枠組みで一種のサービス産業として普及してきた面が強かったために、一定のサービス水準を充たしていないと、オーディエンスの側がイベントそのものにも満足できない、という消費社会的ハビタスの浸透・固定化傾向がみられる。
これに対し「運河の音楽」のオリジナリティは、サービス産業化の中で馴致された知覚・身体様式そのものを一度解体し、参加者の側が主体的かつ独自に、しかしまた共同性や連帯感を育みながら、その享受体験の枠組みそのものを再構成できる場となった点にある。地域資源だけでなく、世界との新鮮な、根源的な関わり方そのものをも再発見することができたのである。
もちろん、コミュニティアートは説明が多すぎてはいけない。理屈抜きに、身体感覚で音・風景と一体化し、すっと肩の力が抜け、自分の気持ちが自然にやさしくなれるときがある。まるで母親の胸に抱かれた乳幼児のときにように、世界との、自然との、他者とのエロス的関係が回復される。アートのちからで世界が変わる瞬間だ。管理社会の網の目を溶解する魔力が、白昼夢の只中に立ち現れ、制度化された芸術が、みずからその制度を超え出てゆこうと、きらめくのだ。
その美的なインパクトを、社会構造そのものを組み替えるための重要なファクターにできないだろうか? 白昼夢の美的リアリティが、現実の社会のリアリティを構成できる日は、やはりユートピアにすぎないのだろうか? 

運河の音楽感想13

神大スタッフで、当日はクレーンと演奏する、その名も「クレーンの音楽」に出演した藤井さんの感想です。


当日レポート(クレーンの音楽)
予定時刻より前に既に観客がたくさん。出演者3人はクレーンに連なるように一列にスタンバイ。晴天で気持ちよく、早く15時にならないかな、とそわそわしている。
緊張が程よく高まったころに15時になり、パーカション木村さんの音から始まる。リハーサルの時とは異なり、細かい打音の連続。田中さん、藤井も後に続く。しばらく続いた後、藤井は中野商機のビルへ移動し、登りながら鍵盤ハーモニカを吹く。思っていたほど観客の視線は動かなかったけれど、音響的に変わっていることを感じてもらえただろうか。5分ほどで最初の位置に戻り、今度は木村さん田中さんも定位置から少しずつ移動しながら演奏。地面や手すりをスティックでたたく木村さんが印象的だった。初めの勢いが少しずつ緩やかになり、中間部では音と音とのひそやかな会話が行われていたように思う。中間部から最後にかけては木村さんのスチールパンの醸し出す民族的な音色にリードされ、田中さんのボンゴ、藤井の短い鍵盤ハーモニカの音がそれぞれ組み合わさり、またそれらが運河に共鳴し神秘的な空間を生んでいたように感じられた。開演20分後、予定通り鶴岡さん操縦のクレーンが動き出す。観客の視線はクレーンの動きへと移り、その場にはクレーンの持続的な機械音が加わる。私はクレーンと対話したいと思うようになり、クレーンの動きに合わせて演奏を試みる。やがてクレーンが徐々に動きを止めていき、クレーンの音楽は幕を閉じた。

感想
 今までの私の数少ない経験の中で今回の運河の音楽のようなイベントは経験したことがなく、戸惑うことも多かったのですが、スタッフ・演奏者として貴重な経験をさせていただいたことに感謝しています。秋頃からロケハンに行ったり、ミーティングを重ねるうちに大きなイベントになっていき、期待も膨らむ中、今回のこのイベントはどうまとまっていくのか、個人的に気がかりだったところもありましたが、最終的にはコミュニティアート、映像作品、など多様な側面でまとめ上げられていったように思います。
 本番はすべて鑑賞することはできませんでしたが、フィナーレの部分で次々に上演されていく様子は、多種類の音風景がランダムに場所を変えて再生されていくようで、野村さんの言われる「幻聴」とはこういうものなのかな、と感じたりしました。担当させていただいたクレーンの音楽では、クレーンと演奏という今までにない経験をさせていただきました。当日まで不安もありましたが、共に演奏させていただいた二人の演奏者の助力もあり、演奏を楽しめることができました。晴天の中での演奏というのは気持ちよいものでした。また是非屋外で演奏をできれば、と思います。
 短い準備期間であったにもかかわらず、無事本番を終えることができたのはたくさんの事務作業をこなしていかれた沼田さん含めスタッフの方々の力があってこそだと思います。本当にお疲れ様でした。またこのような機会があれば、関わりたいと思っています。

運河の音楽感想12

児童館でのワークショップのスタッフで、当日も様々なパフォーマンスの準備に動き回ってくれた橋本さんの感想です。


運河の音楽 感想
橋本麻希

1. 日清製粉前のパフォーマンスについて
 (1)当日
 当日の朝10時に艇庫に集合し、スタッフミーティングを終えて自転車に番号をふり、すぐに苑子さんの原付で日清製粉前へ移動。あまりの天気の良さに、これからの風船作業での日焼けの恐怖すら感じました。
 日清製粉横のマリンフーズの駐車場に到着すると、既に三宗さんと他2名の風船隊が車を止めて風船を膨らましてマリンフーズのフェンスに色とりどりの風船が並んでいました。2日前にアリさんと三宗さんがどのくらいの大きさの風船にどのくらいの重りをつければ浮くのかなど細かい実験をしてくれていたのですが、何しろあの岸壁に500個以上の風船を膨らまして整列させることなどぶっつけ本番以外の何物でもありません。間に合うのか?!という不安もあり、あいさつもそこそこに、私も作業に加わりました。
 まず、三宗さんと共に岸壁にビニールひもを垂らし、1mごとにガムテープで止めて印をつけていきます。ひもの全長は70mぐらいあったと思います。そしてこのガムテープで印をつけた部分に、ふくらまして重りを付けた風船をどんどん引っ掛けていきます。岸壁に入るにはフェンスを乗り越えなければいけないため、相談の上、三宗さんたち3人が風船をふくらましておもりをつけるところまでの係、私が岸壁側にいて三宗さんたちから風船を受け取り、ひもに引っ掛けていく係になりました。
 ここからはひたすら私は風船を持って岸壁に降りて風船を引っかけ、なくなったら風船をとりに戻って・・・という繰り返しでした。その作業の合間、法螺貝の音が聞こえたのでふと作業の手を止めて時計を見ると、12時15分でした。この法螺貝の音は中嶋のんとさんの作品の音だったのか、生音だったのかはわかりませんが、運河の音楽という壮大な音楽会の始まりを告げる音が聞こえ、作業をしながらもわくわくしたことを覚えています。
 まだまだ孤独な作業は続きます。孤独ではありますが、やっとのことで許可を頂いた日清製粉前の岸壁に本当に風船を並べているということだけでもわくわく感がありました。しかしこの時点でまだ岸壁の半分ぐらいしか埋まっていません。
 想定外のことがたくさん起きるものです。ヘリウムガスで風船をふくらます作業というのは、実は意外に難しいもののようでした。また、予想外の強風で、ヘリウムガスを入れた風船は一度にたくさん運ぼうとするとからまってからまって余計に時間がかかります。強風で浮いているはずの風船が岸壁のコンクリートにつくぐらいまで流され、割れてしまうものや、くくりつけたはずの場所からかなり移動してしまっているものもありました。要領を得たころには岸壁が風船で埋まろうとしていました。
 風船を持ってそろそろと岸壁に移動し、くくりつけていると、時折道林一家が運転するモーターボートが巡回していて、力強く敬礼してくれました。観客を乗せたレガッタも通ります。ボートにのった小さな子どもが、こちらを不思議そうに見ていたので、私は手を振りました。そんな日常と非日常の境界線でのやりとりもとても印象的でした。
 さて、神戸ドックからアリさんたちが到着し、日清製粉の工事現場へ入っていきました。風船作業は正直4人でやってぎりぎりでした。対岸に増え始めた人影に、なんとか間に合ってよかった・・、と思う間もなく、本番がスタートです。
 本番が始まってすぐ、私は色とりどりの風船を何十個も束にした風船ツリーを岸壁の真ん中にセットしました。その後はマリンフーズの駐車場側から風船をふくらましては水面に落とします。4人で風船を落とし続けること30分。ヘリウムボンベは1つしかないため、呼気でふくらましていた私たちは息も切れ切れでしたが、日清製粉前の水面に点々と流れる風船たちはとてもポップな空間を作り出していました。
 風向きの関係で風船隊の位置からは管楽器の音はあまりよく聞こえなかったことと、岸壁にくくりつけた風船が、アリさんたち演奏者が投げ込もうとしたときには更にからまっていて苦労させてしまったことはちょっと失敗したなと思いましたが、鉄骨や土などが見える工事現場とそのガンガン響く作業音と風船たちとアリさんたちパフォーマーが作り出したポップな空間が妙な対比を生んでいて、おもしろかったと思います。対岸から見ていた方はどのように感じたのでしょうか、上映会が楽しみです。

 (2)日清製粉前という場所について
 運河の音楽が主に5地点を移動しながら行う形式に決定したころ、私は正直日清製粉前のパフォーマンスが現実問題最も実現が難しそうだと思いました。(保安庁への申請などの面で。)その反面、アリさんの岸壁・水面を風船でいっぱいにしてずらっと管楽器奏者を並べて演奏するという案は、視覚的にも楽しく、魅力的な案だと思い、ぜひ実現したいと動き出したのでした。しかし12月頃、日清製粉前でアリさんたち考案のパフォーマンスができなくなる可能性が浮上し、アリさんも他の仕事との兼ね合いで人集めに苦労され、一時アリさんは辞退、日清製粉前のパフォーマンスが頓挫しかねない危機に陥りました・・・が、何とか実現させたいという気持ちで様々な方と連絡をとり、幸弘さん・りいさん・苑子さん・行政の方々などをはじめ様々な方々の協力のおかげで、実現することができました。今回の経験は私にとってとても貴重な経験となりました。ありがとうございました。

2.音楽の広場について
子どもたちはたくさんの観客や、吉田中の吹奏楽部の演奏の真横で出番を待つ独特の雰囲気に少し緊張していたようですが、生き生きと演奏してくれたと思います。本番直前まで子どもたちをまとめ、連れてきてくれた西さん足立さんに感謝です。ありがとうございました。
演奏の中で特に印象的だったのは、電車の音楽のときにふうまくんがのびのびと演奏していたことや、プールの音楽のときにしゅうやくんとほのかちゃんの演奏に聞き入りその場がしーんとなったこと、しゅうやくんの元気な指揮、最後の指揮に立候補したふうまくんの表情豊かな指揮…などなどです。
りいさんの要所での声掛けは、やはりさすがだなと思いました。
ただ私が一つ残念だったのは、りゅうじくんのガイコツがいつもより控え目だったことです。(楽器もいつもは2つ持つのに当日は恥ずかしかったのか、1つでいいと言って持たなかったですし…。)

今回の出張プログラムでは、参加児童の年齢や参加児童がある程度継続して参加してくれるという状況はあーちの活動とは大きく違っていましたが、私は今回の出張プログラムのおかげで、参加者とのコミュニケーション力が向上し、自分が質の高い音を出すことに集中でき、そしてスタッフ同士の連携が強化されたように思います。
もし今後、せっかく御崎児童館とつながりができたので、御崎児童館での活動を月1回とかでも続けていけるのであれば、やってみたいと思います。

運河の音楽感想11

地域の児童館の子どもたちとのワークショップを通して、絵楽譜を使った演奏をおこなった、西さんの感想です。


「音楽の広場」と題して御崎児童館の子供達との絵楽譜演奏。自分自身が知らない施設に入り込み、その子供達と関係を作っていき、最終的には共に音楽を作って発表なんてできるのだろうか、と初めは不安に思っていました。が、最終的にはその子どもにどうしようもなく嬉しい言葉をもらいました。この御崎児童館の子ども達と出会い発表するまでの経緯を少し振り返ってみます。
まず区役所の伊賀さんに「運河の音楽で子供達と何か音楽の発表をしたいので、音楽の広場の出張ワークショップをしたい」という相談を持ち掛けたところ、1月末に明親地区の児童館で行われた子育て交流会にて石澤さんを紹介していただきました。そして石澤さんに音楽の広場の活動を説明したところ興味を持っていただき、運河周辺の地区でワークショップができるように手配して頂きました。そこで紹介してもらったのが御崎児童館でした。2月頭に児童館へ訪問し、運河の音楽出演を見越してワークショップをさせてもらえないか、音楽の広場の活動の紹介や運河に向けての企画書の説明をしました。が、これまでの伊賀さん・石澤さんも同様なのですが、この「絵楽譜」を理解してもらうことが、私の説明の仕方が上手くないこともあいまって難しかったです。誰しも初めは、絵を音楽にする…んん??といった具合に、どれだけ言葉で説明しても明確なイメージをつかんでもらうのは容易ではなかったです。児童館での説明では、なぜか石澤さんが児童館の館長さんに絵楽譜について熱弁してくださったのが印象的でした。私の役割なのにすみません…でもそれだけ理解して頂いて嬉しい…いや、でも私がちゃんと説明しないでどうする…と、複雑な感情で石澤さんの説明にのっかりながら館長さんにプレゼンしました。その甲斐あってか、館長さんと指導員の足立さんに全5回のワークショップの許可をいただくことができたのでした。
そしてその5回のワークショップですが、なぜかほとんど雨でした。ワークショップを行っていた金曜は、狙ったかのように雨でした。楽器は大学から車で運び出していたので、楽器が濡れないように出し入れするのに困りました。雨女が絶対いたに違いない。でも子供たちはそんな雨等関係はなく、本当に元気、とても元気、とにかく元気で、いつもすごいパワーを見せてくれました。楽器を自由に演奏する機会がおそらく学校ではないのか、自由に遊んでもらうとどんな楽器にも興味を見せて楽しそうに演奏してくれました。
絵楽譜の演奏をするとこちらにも興味をもってくれ、自分も演奏したい!指揮したい!描きたい!と手を挙げて希望をどんどん出してくれました。そして思った以上に絵楽譜について理解して、素晴らしい絵楽譜を作成し、それを音にする段階でも創造的な表現をたくさん生んでくれました。
そして本番の直前、児童館で最後のリハーサルをすると、緊張している子どもや、わくわくしている子ども、すごく楽しみで家族も見に来るということをうれしそうに伝えてくれる子ども、それぞれ自分が発表するということを彼らなりに感じとっていました。この調子だと大丈夫かな、と発表場所まで移動すると、周りのにぎやかな雰囲気にのまれてしまったり、家族を探しに行こうとしたり、演奏している団体の方へふらふらと誘われたり…子どもだからしょうがない、でも大変だ、なんとかせねば、と思って一人一人と気持の確認をしました。なんとか落ち着いた頃にスタッフも全員揃って本番を迎えました。
まずスタッフだけで演奏したのですが、私は指揮をするためにすこし高くなった所にいました。朝にここに上ったときにせまくて動きづらいと思っていました。傍で見ていた若尾先生も足場が悪いので心配してくださっていました。そうしたら、案の定、お約束通り、私は足を踏み外して、落ちました。
子どもの頭の高さぐらいから落ちる数秒の間に、「ここでこけてしまって怪我でもすれば演奏が中止になる、なんとしてでもちゃんと着地してすぐ持ち直さなければ!!」と頭の中で思ったのがよかったのかどうかわからないけれど無事着地し、すぐにまた壁に上り指揮を続けました。いや、本当に何もなくてよかったのですが。
次に子供たちも演奏に加わりました。いつも魅力的な指揮をしてくれた男の子は本番でも子供達の演奏のよさを引き出し、ソロをしてくれた男の子は少し緊張して照れながらも最後まで演奏をやりきり、2人でプールの音を演奏した子どもは、終わりの難しい即興演奏を自分たちでタイミングを見つけてきれいに終わり…どの子も自分の音楽的役割を果たしながら、一生懸命に、かつ楽しそうに演奏してくれました。最後はまた子どもに指揮をしてもらいましたが、指揮者の男の子も演奏していた子どもも、満面の笑みで元気いっぱい体全体で音楽を表現してくれました。
演奏が終わった後児童館に戻って参加賞を渡すと、なぜか金太郎飴:お風呂の割引券=1:9くらいの割合くらいの反応が返ってきたのが面白かったです。子どもは飴よりお風呂の方に興味があるのかという驚きがありました。そして感想を聞くと、全員から「楽しかった」という答えが返ってきて、また、やりきった満足感でいっぱいの顔を見て本当にやってよかったと思いました。そして帰り際にある女の子から、この運河の音楽のことを「一生忘れへん」という言葉をもらいました。これが、私がどうしようもないくらいに嬉しかった言葉でした。子どもにそう言わせるまでの体験を自分たちと子どもたちで一から作り上げることができたことは素晴らしいことであるし、子どもに満足してもらったことが音楽の広場のなによりもの成功になったと思います。また、運河の音楽に参加し、音楽の広場のスタッフの連携や参加者との関係作りなどたくさんのことを勉強する機械にもなりました。この経験を今までのプログラム活かすとともに、再度子供達と共演できたら、と思います。