運河の音楽感想14

運河の音楽実行部隊の影のボス、藤野先生の感想です。


神様に感謝するほかない好天に恵まれ、多文化共生の夢が眼前に実現した本当に幸せな一日だった。地域の文化資源を発掘するという営みは、学術的な強制力がはたらくと面白味のないものとなりがちだ。しかし「運河の音楽」の制作プロセスにおいては、それぞれのアクターのインプロヴィゼーションの妙味が意想外に発揮され、本番当日は、さらにスリリングな即興性が加わり、普段から見慣れているはずの光景が、創意工夫を凝らした街楽師たちのマジックによって新たな輝きを放ち、圧巻だった。
コミュニティアートプロジェクトは、現代GP事業の目玉の一つ。「運河の音楽」プロジェクトを通じて実感し確信したのは、そこに「都市文化再生」のための、とてつもなく大きな可能性が潜んでいることだ。もちろんアートマネジメントには、それが持続可能な組織運営をめざす限り「管理する」という部分は避けられない。とりわけクラシック音楽事業などの場合、制度化された枠組みで一種のサービス産業として普及してきた面が強かったために、一定のサービス水準を充たしていないと、オーディエンスの側がイベントそのものにも満足できない、という消費社会的ハビタスの浸透・固定化傾向がみられる。
これに対し「運河の音楽」のオリジナリティは、サービス産業化の中で馴致された知覚・身体様式そのものを一度解体し、参加者の側が主体的かつ独自に、しかしまた共同性や連帯感を育みながら、その享受体験の枠組みそのものを再構成できる場となった点にある。地域資源だけでなく、世界との新鮮な、根源的な関わり方そのものをも再発見することができたのである。
もちろん、コミュニティアートは説明が多すぎてはいけない。理屈抜きに、身体感覚で音・風景と一体化し、すっと肩の力が抜け、自分の気持ちが自然にやさしくなれるときがある。まるで母親の胸に抱かれた乳幼児のときにように、世界との、自然との、他者とのエロス的関係が回復される。アートのちからで世界が変わる瞬間だ。管理社会の網の目を溶解する魔力が、白昼夢の只中に立ち現れ、制度化された芸術が、みずからその制度を超え出てゆこうと、きらめくのだ。
その美的なインパクトを、社会構造そのものを組み替えるための重要なファクターにできないだろうか? 白昼夢の美的リアリティが、現実の社会のリアリティを構成できる日は、やはりユートピアにすぎないのだろうか?