運河の音楽感想15

警備担当として街頭に立ち続けてくれた、神大スタッフ松井さんの感想です。


私は警備要員として当日のみの参加でしたので、実際に運河に赴くまで内容をあまりよくわかっていなかったことが、自分の反省点として挙げられます。行程に関しては事前の説明を受けていたので把握していたのですが、その時に内容に関してもきちんと質問して把握しておくべきだったと思いました。
ということでいろいろと言えた義理ではないのですが、逆にこのイヴェントを当日にはじめて体験した純粋な観客としての感想がいくつかあります。
一言でいえば、「見せ物」であることに対する外部への説明責任が少なかったのでないかということです。現代アートをいきなり街中で、しかも工場街でやるというのは、もともとそういうものに親しんでいる(と思われる)スタッフや、何度も交渉して説明を受けている(と思われる)地域団体の方にはよいでしょうが、新聞で見て足を運んでくれた方々や通りすがりに見てくれた地域の方々など、このイヴェントに直接関わっていない方にはちょっと理解不能で、理解不能な分ストレスがたまって帰ってしまう方もいらっしゃったようで、「運河の音楽」というタイトルから通常の「音楽会」を想像したら全然違うものが出てきて面食らったようです。それだけなら仕方ないのですが、「地域を使って大学がわけわからんことしとる」とか「工場は学園祭の場じゃない」、「大事な休み時間に見に来たのにそれを無駄にされた」とかえって反発される可能性もなきにしもあらずなので、こうなると「コミュニティアート」が目指す方向とは逆になるのではないかとも心配しておりました。私も見に来ていただいているお客さんに対して最初申し訳ない気持ちがありました。
幸いそのような否定的な意見は私の周りでは聞かれませんでしたが、何をやっているのか分からないけど肯定的にとらえようとした方はよく見かけました。なんとか楽しもう(理解しよう)と思ったのでしょう、「これは何をやっているのですか」とか、「(すでに始まっているときに)これはいつはじまるのですか」など、しょっちゅう質問されて説明を求められました。そのおかげか、何よりもパンフレットが一気に売れたのは幸いだったと思います。後付けですが、説明者質問者ともども能動的に理解しようという動きが見られたのがよかったです。
で、私も説明する立場のくせによく理解できているか自信がなかったので、警備のすきにパンフレットを読んでみたのですが、行程説明、アーティストのプロフィール、スタッフやアーティストの制作過程日記が大半でちょっと内向きに見え、どのようなものがなされるのか、どのように楽しむのかについて説明が少ないのがやはり気になりました。説明によって即興というコンセプトが失われるのは本末転倒でしょうから、あまり詳細な説明は必要ないとは思われますが、表紙裏くらいに大きな文字でこの企画の意図と楽しむ手掛かりくらいは書いてあった方が溜飲が下がるのではないかと思います。たとえば「工場もアート、カモメもアート、通りすがりのチャリおばさんもアート、そしてなんじゃこりゃと思ったあなたもアート」とか「真剣に聞かずにテキトーに眺めておいてください」と企画のコンセプトを緩やかに伝えるとか、オチへのフリがほしかったところです。オチがないなら「こちらからのオチは無しですので自分でオチをつけてください!」とか。
警備に関しては、個人的に1つだけ気になっていることがあります。和太鼓の演奏中にワカメのような金属のオブジェに登って遊んでいる子供がいたので、これでけがをしてはいけないと思いその子に降りるように促して降りてもらったのですが、その判断が果たしてよかったのかということがちょっと気がかりです。イヴェント警備という観点からは妥当な行為だったと思うのですが、参加型アートという点からは明らかにその子の参加意思を殺いでしまったわけで、企画のコンセプトを主催者側が自らつぶしてしまった形にもなったわけです。その後コンテンポラリーダンスの方がそのオブジェを使って表現をしているのを見るとなおさらこの判断が妥当だったのか気になって今に至ります。秩序を求める社会と秩序から解放されるアートとの相克(?)をこんな形で見せつけられるとは。
あと、「やってることは何かよう分からんけど・・・」と言いながらも警察の方々が積極的に協力してくれたことが非常に印象に残っています。この主催者なら大丈夫だろうし協力しようという信頼関係がはっきりと見えました。にわか警備要員としても安心できるプロがいて非常に心強かったです。
このような感じで、なんだかんだ文句も言いましたが、体も頭もフル回転で色々と考えたり人々の善意に助けられたりと、非常に濃密な一日であったことは確かです。私をこの企画に巻き込んでくださった実行委員の皆様に感謝いたします。