運河の音楽感想17

法螺師の方や吉田中のブラスバンド部との渉外を担当し、当日は「運河を聴く」や音遊びの会に出演した三宅さんの感想です。


前日の艇庫ミーティングの前に、パンフレットや記念品準備等の細々とした仕事を手伝いながら、何かが始まる時の高揚感が場にみなぎる心地よさを感じていました。その気分は、当日朝の快晴でさらに高まり、神戸ドックまで自転車を飛ばしながら、すでに爽快な気分でした。
プログラム最初の神戸ドックでは、私が出演依頼や連絡を共同担当していた法螺師宮原正貫さんの到着と共に、一気に場が引き締まりました。ドックに停泊する巨大な船を背に、浜山ハンドベルグループが円形に座り、正面に法螺師が立つという構図。最初の一音が鳴り響いた瞬間、その場が一瞬にして儀式の空間になり、鳥肌の立つ思いでした。続くハンドベルの音色も、どこか非日常で抽象的な響きに聴こえてきます。神戸ドックの新入社員達が列をなして見ている隣で歌うアカペラグループもとても不思議でした。管楽器の演奏は、音遊びの会にも参加している藤本優さんを筆頭に、ドックの先端から堂々とした足取りで戻ってくる姿が印象的でした。そして次のポイントへと向かう行進で、どんどん続くこの先のプログラムを暗示。この神戸ドックでの演奏に、今回の「運河の音楽」のエッセンスが凝縮されているようにも感じました。
ここでの一連の流れを現場で簡潔に指示し、また次のポイントへ向かう道々で各出演者と打ち合わせ‘演出’をつけていく野村幸弘さんを見ていて、彼の言う「場から発想する幻聴音楽会」の意味するところ(のひとつ)を初めて実感として感じました。すなわちそれは、これが映像作品となる、ということが今回の「運河の音楽」を成り立たせる上でとても重要な鍵だったことです。運河に集まった様々なバックグラウンドの出演者を的確に場に配置し、各人の得意とするところを発揮してもらいつつ、求めるイメージを簡単に伝える。出演者は自分の人生やスキルに照らしてそれを解釈し、自分なりに演じる。そのことが場を非日常の空間にし、さらに何気なく通りかかった人やその時々で起こるハプニングが日常と非日常の境界をあいまいにし、観客も幻想の世界へと巻き込まれていく。幸弘さんのこれまでの映像作品は以前から見聞きし興味津々だったのですが、作品として撮るということによって場を成立させ、日常の行為と地続きであり飛躍でもあるアートとして現出する、そういう現場に立ち会えたことは大きかったです。
映画のロケそのものであるような「運河の音楽」という出来事が、わずか半年ほどの間にこれほどの人々を巻き込んだ理由のひとつは、運河という実際の場所であると共に、そこに立ち現われる幻想でもある世界を見てみたいという好奇心と、そのような幻想世界をともに作っていく一員としての熱にあったのではないかと思います。このことは自分にとって、実際のパフォーマンスを見るまでは漠然としていたのですが、幸弘さんが持っていた明確な方向性とイメージは、どんどん膨らむ企画に一本糸を通すものだったように思います。
一方で、この「運河の音楽」はコミュニティアートの試みでもあり、それ自体としての音楽イベントであるという側面を持っていました。このことについては、企画ミーティング、各団体への出演依頼など渉外としての作業、当日の出演等を通じて様々に考えることがありました。
私が渉外を担当した吉田中学校吹奏楽部は、レガッタの方々から「吉田中学校のブラバンは上手いらしい」という噂を耳にして出演依頼をしたのですが、指揮者の松田さんが偶然私の同級生だったこともあり、タイトなスケジュールの中快く参加して下さいました。編成上、屋外での演奏に響きや選曲面での不安はありましたが、練習見学や現地での打ち合わせを通じてイメージを共有し本番に臨むことが出来たと思います。アンケート等でも吹奏楽部の演奏について記されており、地元の中学校が地域の人たちに演奏を披露するいい機会になったのではないかと思います。
私にとって気がかりなのは、今回の演奏が、彼らにとってどのような体験だったのだろうか、ということです。この日のために選んだ曲を一生懸命練習し披露した晴れの舞台であることは違いないと思いますが、それは彼らが演奏する他の様々な舞台と同じような機会のひとつに過ぎなかったのか、それとも「運河の音楽」に参加するという独自の体験となり得たのか。前述した「幻想の世界」を共有できたのだろうか。これは、地域で音楽をする人たち(今回では中学校ブラスバンドや高齢者のハンドベルグループ、児童館の子供たち、ハーモニカの方、またアーティストとして表現に携わる人など)と、どのように関わりながら音楽を作っていくか、という問題です。彼らが日ごろ追求している音楽的なよさを発揮し、彼らの人となりを反映しつつ、なおかつ新しい何かを生み出すような音楽活動をどのように企画し実践するか。またそれをどのような形で発表するか。今回のプロジェクトを通じて、このことは大きな課題として自分の中に残りました。
今回、吉田中の皆さんには音遊びの会にも参加をお願いし、自由な即興演奏に加わってもらうことで、日ごろの活動とはまた違った音楽を感じ取ってもらえたら、と考えていました。数名の生徒が参加してくれ、本番のたった何十分かの間に伸び伸びと、しかも周囲をよく聴いて演奏するようになったのを見て、彼女たちの柔軟性に感心しました。演奏終了直後に「楽しい!」と言い合うのを見て、さらなるコラボレートの可能性を感じました。

約半年間いろんな人に出会う中で印象に残っているのは、レガッタの方々や和田神社の宮司さん、など主要な登場人物はもちろんのこと、歴史散歩で引率してくれたおじさん達からたまたま道を尋ねた人に至るまで、皆が語る物語の面白さです。例えば、吉田中までの道を尋ねた若い女性は病気療養中で体力回復を兼ねて散歩しているとのことでしたが、ご自身も吉田中出身だそうで学校まで案内して頂き、道すがら学校時代の思い出や現在の生活などを聞きました。この企画のことを話すと興味を持ってくれた様子でした(彼女が当日来られていたかは分かりませんが)。このような何気ない話での関わりをきっかけとして、歌や音楽にすることが出来たらいいなと思います。魅力的なコラボレートがたくさんあった「運河の音楽」第一回でしたが、もし次回やるとしたら、運河を舞台にした歌物語や演劇のようなものが出来たらいいなあと(早くも)妄想しています。

私自身が出演したのは、最後の兵庫運河部分での「運河を聴く」。リハーサル時はとても寒く、クラリネットの音がよく響かなくて心配でしたが、当日は短いパルスがよく響くのが聞こえ、楽しく演奏できました。また音遊びの会では、対岸の橋の上からの長い行進がとても心地よかったです。
まだまだ思い出し足りないことがあるような気もしますが、この企画に携わることが出来て本当に楽しかったし、多くのことを学ばせてもらいました。ありがとうございました!