運河の音楽感想10

神大スタッフで、当日は音遊びの会のメンバーとして出演した中島さんの感想です。



全体を通して私にとっては祭りそのものでした。前日のわくわく感、当日の華々しさ、祭りのあとの心地よい余韻。
祭りの幕開けは荘厳な法螺貝と、背景にしては目立ちすぎているハンドベルの方々でした。演奏が始まってからはもちろんのこと、始まる前両手にベルを握りしめてじっと座ってはいるのだけれど、内側ではどんどんエネルギーが充電されていっているような緊張感が周りにも伝わり、すでにゾクゾクしてしまいました。観客の、どのように始まるのか予想もつかないといった困惑や期待もあの場の空気を作っていたように思います。ドッグ内での演奏中、背後で「あれなにやってんの?」「よぉわからん」というやりとりを耳にしました。ようわからんからもうええわ、というのではなくようわからんけどちょっと気になるやないか、という感じだったのはいつもの場所が、ようわからん人たちによってどんな風に乱されるのだろう(もちろんいい意味で!)という、普段その場で生活をしている人ならではの興味があったのかもしれません。
ドック、新川運河とパフォーマンスを観てすでに大興奮の状態で、音遊びの会の集合場所へ向かいました。いつも通り衝撃の集まりの悪さ。そしていつもと変わらぬリラックス具合でゴロンと横になっていた、男の子のお父さんに、「暑いですね!」と話しかけたら「寒いわい」と返され、文字どおり温度差を感じました。とにかく演奏前の音遊びの会は普段と変わらない様子で、それはそれで音遊びらしいとも思ったのですが、もう少し『運河の音楽』にかんする情報をこちらから提供して共有していくべきでした。その部分を雑にしてしまうと、一方が高揚しているともう一方は余計に冷めていくように思いました。もちろん事前の艇庫前ワークショップなどはあったのですが、演奏前の様子を見ていると、ようわからんけどとりあえず来た、というのが少なからずあったようです。しかし本番のパフォーマンスの場面で、いつもよりノリノリで観客をあおったり、知らないダンサーが入ってきたことで調子がちがっていたりするのを見ると、この人たちに説明をするというのは野暮なのかも、と思ったりもしました。
打ち上げのことも少し。私は直前からかかわったので地域の人と知り合う機会も少なかったのですが、打ち上げで色々なひとと話せました。おもしろいことがあるから来い、と当日突然呼び出された人や熱心なレガッタへの勧誘や、艇庫での、相手を感じながらのダンスや、オフレコなギリギリトークや、ヒートアップする日ごろの思いのぶつけあいなどなど…とにかくごちゃごちゃなところが嘘がないかんじで久しぶりの感覚でした。
帰り際、当日時折感じた温度差について思いを巡らせていました。あるミュージシャンがコミュニティみたいなものについて、「それに入ることができていない人が必ずいる」という内容のことを言っていたのを思い出し、改めてコミュニティでひとつのことをするときの態度や姿勢について考えさせられました。
いろんなことを感じ、考えさせてもらった「運河の音楽」が終わりしばらく祭りのあと状態から抜け出せませんでした。みなさまどうもありがとうございました!