中川真さんのコミュニティーアートセミナーを聞いて

中川真さんの、ガムランエイドについての講演を聞いて
色々なヒントを得た気がした。
(講演概要は下記:
http://web.cla.kobe-u.ac.jp/artmg/?%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%BB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%BC%2F20081016


ガムランエイドについて、詳しくは下記を見ていただきたいのだけど、:
http://gamelanaid.web.fc2.com/
簡単に言うと、芸術を通して震災の復興を支援しようという試みである。


色々な意味で、とてもいい刺激になったのだけど、なかでも、ガムランエイドで示した活動方針が、今回のコミュニティーアート活動でも参考になると思った。


その活動方針とは、下記のもの。
・持続性:一時的なものではなく、長期的視野を持った取り組み
・多様性:関わる人々の多様な温度差を認めながら活動
・現地のニーズを尊重:現地の人々の意思を最大限に尊重


これを、この神戸コミュニティーアートに置き換えて考えてみると、
「持続性」については、まだ分からないけど、プロジェクトが終了しても、何らかの形で続けていきたい、という方向性が生まれるといいな、と思った。
「多様性」に関しては、現在の集まり方はまさにこの通りである。はじめから自分の都合のつくときに、一番能力を発揮できる形でかかわってもらえればいい、と思っていて、実際、運営よりも出演したいという人や、ロケハンはパスしてその後の飲み会に行きたい人も許容するシステムを取っているからだ。場所探しの嗅覚にすぐれている人、記録づくりが得意な人、雰囲気づくりがうまい人、コミュニティーに対して何ができるか、自分の可能性を試したいと思っている人、そんな多様な人々が思う存分活動できる変幻自在なコミュニティーができたらいいな、と思う。
「現地のニーズを尊重」に関しては、ガムランエイドとそもそもの目的が異なるので何とも言えないが、少なくとも現在のようにメンバーのほとんどが神戸大学関係者という状況から、どこかのコミュニティーに入り込んで、その人たちとともに活動を展開していきたいと思った。そのためには、まず場所を決めないとね!


それから、「コミュニティーアートをするにあたって、だれを対象と考えたらよいのだろう?」という問いには、最後のディスカッションの時に中川さんが言われた次の意見にヒントがあった。
中川さんは、現在の日本においては障害者や受刑者、マイノリティといった人々に芸術の力を用いて支援するということが行われ始めているが、これらの活動がいったん成果を出したところで、それが一般の人々にも敷衍さて行くだろう、ということをお話しされていた。私も、まさにその通りだと思った。というよりも、そういったことはもうすでに始まっているのでは、とも思った。


私は、このコミュニティーアートを始めるにあたって、神戸の歴史や文化を少しだけ学んだりしながら、いったいどんな人と関わっていったらいいのだろう、ということを考えてきた。神戸は、昔から豊かな土地があり、豊かな文化をはぐくんできたところで、いまさらコミュニティーを作っていくことなんか必要ないのではないか、わざわざしかるべき対象者を探し出さなくてもいいのではないか、などと思ったこともあった。けれども、広く多くの人を対象者とし、アートが様々な人々の中に網目のように入り込んでいって、関係した人々がいい体験を持ち帰ってもらえたらいいのでは、とも思った。たとえば、以前幸弘さんが「自殺者が急増している。その人たちを救うためにはどのような芸術が考えられるだろう?」ということを言っていたのだけど、私は、自殺というのは色々な場合があるのだろうけど、人知れずふっと生じる現象なのではないか、とも思うから、そういったことを防ぐためには、網目のように関係が作られている社会において、その間に芸術が入り込むことによって、そこに存在するあらゆる問題を未然に防いだり、人々が希望を見出せたりするのではないか、と思ったのである。これは、中川さんの意見にも共通するものだと思う。


そんな活動の在り方が思い浮かんだのも、「音遊びの会」での経験も背景にあったと思う。
私は、もともとは知的な障害を持つ個人を対象とした音楽療法を研究することに興味があったのだけど、その後、「障害者」の問題は、障害者側のみにあるだけではなく、社会との関係の問題とも大きく関係している、と思うようになった。そこで、知的障害者の魅力について広く社会に知ってもらい、また音楽家との出会いによって音楽文化のなかに新たな創造の道を開けたら、と思い、知的障害者と音楽家による「音遊びの会」という音楽プロジェクトを約3年前に始めた。当初は、即興演奏の得意な音楽家知的障害者のみが対象だったが、支援を受けたプロジェクトが終了したのち、メンバーはバンド仲間のようになって、活動はまだ続いている。このプロジェクトメンバーは、今ではどんどん新しいメンバーが加わって、非常に多様になってきており、保護者や兄弟のみならず、地域の様々な音楽好きの人が集まる場所となってきた。そこでどんなことが起こったのかというと、様々な年齢や文化的背景、能力を持つ人々が集まることにより、知的障害者によく見られるような「社会性の欠如」などの問題はもう見えづらくなり、色々な要素が絡み合いすぎて、もうそんな様々な問題自体がどうでもよくなってしまった、という感じがするのである。


そこで、この「音遊びの会」のプロジェクトは新たな意味を持ってきたように思える。それは、地域の音楽で表現したい様々な人々を受け入れ、そこでそれらの人々が刺激し合うことによって作品が生まれ、それを社会に提示することにより、社会の人々もまた元気になっていく、という構図である。実際、「音遊びの会」の公演を聞いたことがきっかけで音楽が好きになり、入会を申し込んできた人もいた。


「音遊びの会」のことばかり書いてしまったが、これから行うコミュニティー活動では、私が今まで会ったことのないような人々との出会いの中で、一緒にアートを考えていくことにより、いろんな人がより元気になっていくようなことがあったらいいな、と思う。
幸弘さんはそんな場を作り出すのが最高にうまい人だと思う。
こんな風にいろいろ考えて、ますます楽しみになった。